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2013年12月、就任してわずか1年の猪瀬都知事(当時)が金銭疑惑で辞職し、新しい都知事を選ぶ都知事選が行われることになった。
2013年12月、就任してわずか1年の猪瀬都知事(当時)が金銭疑惑で辞職し、新しい都知事を選ぶ都知事選が行われることになった。
伊豆大島には、本土と比べて有権者数が圧倒的に少ないために、都知事選があっても候補者が来る・・・ということは実は今までまったくなかった。
(※1度だけ、泡沫候補の黒川紀章氏がパフォーマンスのために来島したことはあるが、 当選する可能性が最初から無い人間だからできる道楽みたいなものなので、カウントする必要はないだろう。)
そんな、島民にとっては本来「他人ごと」に過ぎない都知事選なのだが、今回は、全国に報道される未曾有の大災害の直後・・・ということで、主要4候補すべてが選挙前に来島して、被災地を視察した。
(※私の知る限り、泡沫候補のやつらは1人も来なかった!!)
主要4候補の名前と、バックの政治勢力を簡単に紹介しておくと、以下の通り。
宇都宮健児 氏(共産・社民)舛添要一 氏(自民・公明)細川護煕 氏(脱原発市民グループ・小泉純一郎)田母神俊雄 氏(新保守市民グループ・石原慎太郎)
候補者ごとに、来島する時期も、滞在時間も、島内での行動も、てんでバラバラで、それぞれの個性がよく出た大島視察だった。
宇都宮健児氏、舛添要一氏の2人は、選挙効率を考えてのことであろうが、選挙の公示前に相次いで訪れた。
片や、細川護煕氏と田母神俊雄氏の2人は、選挙公示後の貴重な時間を割いて来島してくれた。
特に驚いたのが田母神俊雄氏で、選挙の日程を1日まるまる割いた上、夜行船で来島し、何と選挙カーまで持ち込んで、被災地の視察だけでなく選挙活動まで行なっていった。
滞在時間が圧倒的に長く、私も1日密着して取材していたので、他の候補に比べて写真の数もそれだけ多くなっている。
今後、何とか写真を整理して、それぞれ何点かずつ追加したい。
今後、何とか写真を整理して、それぞれ何点かずつ追加したい。
◇
宇都宮健児 氏
来島の知らせは、前日に突然あった。そして1月16日(木)の朝に来島。
20人あまりのマスコミを引き連れ、共産党町議員の案内で島をまわる。
まずは被災地を視察し、献花台で犠牲者の冥福を祈る。
まずは被災地を視察し、献花台で犠牲者の冥福を祈る。
(※その間、私は自宅で待っていたので、写真がない。 )
その後、午前11時半頃だったか、私の暮らしている避難住宅(一時提供住宅)を訪れ、1時間近く被災者の話を聞いてくれた。
12時をだいぶ過ぎてから、「伊豆大島 被災者の会」の事務所を訪れ、被災者の会・事務局メンバーとの対話を、1時間ほど行った。
これが有力候補者の最初の来島で、しかも突然のことだったので、まだ密着して取材するという発想がなく、写真が少ない。
これが有力候補者の最初の来島で、しかも突然のことだったので、まだ密着して取材するという発想がなく、写真が少ない。
避難住宅の被災者と対話する宇都宮健児氏 |
☆
愛称は「うつけん」 |
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被災者の会の事務局メンバーと話をする『うつけん』こと宇都宮健児氏 |
◇
舛添要一 氏
宇都宮氏のすぐ翌日、1月17日(金)の朝に来島。
やはり注目度が高いため、マスコミもウジャウジャくっついていた。
やはり注目度が高いため、マスコミもウジャウジャくっついていた。
自民系町議員の案内で被災地を視察し、献花台で犠牲者の冥福を祈り、砂防ダムや建設中の仮設住宅など、インフラ周りを重点的に視察。
(※その間、やはり私は自宅で待っていたので、写真がない。 )
スケジュールが全然分からず、待っていてもどうも私の暮らす避難住宅には来てくれそうになかったので、港に行って帰りの船に乗るところを直撃した。
なので、写真が少ない。
被災者の要望を書いた紙を手渡しアピール |
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同行の被災者と話をする様子 |
◇
細川護煕 氏
正式な出馬表明が遅れたこともあり、来島するのかどうか全然動向が分からなかった。
選挙が公示されてしまったらどうせもう来ないだろうな・・・とあきらめていたら、公示のその日に突然「明日来る」という情報が入ってきて驚いた。
1月24日(金)、選挙期間に突入していたこともあってチャーターヘリで来島し、わずか1時間半という滞在時間の強行軍だった。
それでも、献花台・被災地をまわった後、被災者の会の事務所を訪れて30分ほど、被災者との対話を行ってくれた。
(確か、滞在時間は午後1時50分〜3時20分だったと思う。)
島には支援組織がないので、案内は事前に頼まれた被災者がしていた。
滞在時間は短かったが、来島の情報が事前に知らされていたこともあって、密着取材することができ、写真はたくさん撮れた。
選挙が公示されてしまったらどうせもう来ないだろうな・・・とあきらめていたら、公示のその日に突然「明日来る」という情報が入ってきて驚いた。
1月24日(金)、選挙期間に突入していたこともあってチャーターヘリで来島し、わずか1時間半という滞在時間の強行軍だった。
それでも、献花台・被災地をまわった後、被災者の会の事務所を訪れて30分ほど、被災者との対話を行ってくれた。
(確か、滞在時間は午後1時50分〜3時20分だったと思う。)
島には支援組織がないので、案内は事前に頼まれた被災者がしていた。
滞在時間は短かったが、来島の情報が事前に知らされていたこともあって、密着取材することができ、写真はたくさん撮れた。
災害の犠牲者に花を供えに行く細川護煕氏 |
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献花台で祈りを捧げた後、マスコミに質問に答える |
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被害の一番ひどかった『神達地区』で被災者の説明を聞く |
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被災地での囲み取材の様子 |
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『被災者の会』事務局で、被災者(事務局メンバー)と話す様子 |
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ポスターを貼るパフォーマンスを終えて、はにかむ細川氏 |
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田母神俊雄 氏
この人も、来島するのかしないのか、最初はなかなか動向がつかめなかった。
ところがフタを開けてみると、主要候補と言わず全候補の中で、一番やる気を見せてくれたのがこの田母神氏だった。
宇都宮、舛添両候補が来島した少し後で、何とインターネットを経由して、私のところに来島のオファーが舞い込んできた!!
他の候補のように支持母体となる組織がなく、島にもまったくツテがないので、案内してほしいということだった。
やれ「右寄りだ」「過激だ」などと言われている人らしいが、そんなことに頓着しない脳天気な私は、「来てくれるなら、どの候補でもありがたい!!」と、被災地の案内を買って出た。
当然、選挙の公示前に来るのだろうと思っていたら、選挙戦の真っ最中の1月31日(金)の朝に来島した。
ところがフタを開けてみると、主要候補と言わず全候補の中で、一番やる気を見せてくれたのがこの田母神氏だった。
宇都宮、舛添両候補が来島した少し後で、何とインターネットを経由して、私のところに来島のオファーが舞い込んできた!!
他の候補のように支持母体となる組織がなく、島にもまったくツテがないので、案内してほしいということだった。
やれ「右寄りだ」「過激だ」などと言われている人らしいが、そんなことに頓着しない脳天気な私は、「来てくれるなら、どの候補でもありがたい!!」と、被災地の案内を買って出た。
当然、選挙の公示前に来るのだろうと思っていたら、選挙戦の真っ最中の1月31日(金)の朝に来島した。
・・・というか、前日の夜に「夜行船」に乗り込み、1晩かけてやってきた!!
連日の選挙活動で疲れていて、しかもお年を考えればとっくに還暦を超えているのに、島民でさえ揺れがひどくてあまり寝られないこともある夜行船で来るとは・・・。
田母神氏は、支持者の島民の方の案内で、疲れも見せずに島中を演説してまわり、被災地の案内は私がさせて頂いた。
途中からは、飛行機でデヴィ夫人が応援に駆けつけ、いっしょに島をまわった。
やはりこの日の朝貨物船で到着した選挙カーには、「大島をひとりぼっちにさせない!!」というメッセージが書いてあった。
それを見て、私は色んな思いがこみ上げてきて、1人でしばらく泣いてしまった。
連日の選挙活動で疲れていて、しかもお年を考えればとっくに還暦を超えているのに、島民でさえ揺れがひどくてあまり寝られないこともある夜行船で来るとは・・・。
田母神氏は、支持者の島民の方の案内で、疲れも見せずに島中を演説してまわり、被災地の案内は私がさせて頂いた。
途中からは、飛行機でデヴィ夫人が応援に駆けつけ、いっしょに島をまわった。
やはりこの日の朝貨物船で到着した選挙カーには、「大島をひとりぼっちにさせない!!」というメッセージが書いてあった。
それを見て、私は色んな思いがこみ上げてきて、1人でしばらく泣いてしまった。
早朝6時に夜行船から降り立つ田母神陣営。青いジャンパーが田母神俊雄氏 |
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遊説前の朝食中に、気さくに写真撮影に応じてくれた |
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選挙カーを持ち込み、大島町役場前で遊説をスタート |
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街頭演説する田母神俊雄氏 |
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島民に原発問題について語る田母神氏とデヴィ夫人 |
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献花台で犠牲者の冥福を祈る様子 |
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くまっしぃの案内で、被災地をずっと奥まで歩いて視察する |
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まさにその場所で、くまっしぃの被災体験を聞いてくれた |
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波浮港でのデヴィ夫人の演説の様子 |
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仮設住宅を訪れ、被災者の話を聞く様子 |
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