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2014年2月10日月曜日

スパークする瞬間

くまっしぃの住んでいた家を裏から見たところ

2013年10月16日未明
伊豆大島で台風26号による大規模な山崩れ(=山津波)が発生

昨年の10月16日に被災した時、私は一番大きな被害を受けた地区、人家がある場所では一番上流にあたる場所に居た。
幸いにも、ほんの数メートルの差で、私と家族はケガひとつすることなく無事だった。

実は、すごい台風が来ているというのに、私は生来の脳天気さからぐっすり眠っていたのだが、その時のすさまじい音と衝撃に「うわあぁぁ!!!」と叫んで飛び起きた。

しばらく、震度2〜3くらいの地震のような揺れが続き、ゴゴゴゴォォという轟音、そしてバリバリバリ・・・という、トタン屋根がはがれる音がした。
数分後には揺れが収まり、ゴゴゴゴォォという轟音は遠ざかっていった。
私はてっきり竜巻が近くをかすめて通ったのだとばかり思って、 家が壊れなかったので助かったと思い、安堵した。

時間は、はっきり分からないが、家族の証言によると午前2時40分頃だったようである。
それから、おそらく30分ほどの間、 ゴゴゴゴォォという轟音は、近づいたり遠ざかったりしながら続いた。
後から思えば、土石流が流れて下流に下っていく音だったのだろう。

閉めきった室内には、ツーーンと草刈りをした時のような匂いが強烈に立ち込めた。
家の周りで木の枝が折れたのだと思ったが、実際には周りの森がまるごとなぎ倒されていたのだった・・・。

くまっしぃが住んでいた家。隣の部屋の1階は土石流で破壊された

それから2時間ほどだろうか・・・朝の5時頃に夜があけて明るくなるまで、室内でじっとしていた。
停電になって真っ暗だったし、外はまだ台風の風雨がすごくて、様子を見に行くどころではなかった。
外が明るくなってきて、窓の外を見てみると、一面焼け野原みたいに何もなくなっているのが分かって、 激しい衝撃を受けた。

まだ外は暴風が吹き荒れていたが、私はカッパを着込んで外に出た
その時初めて、壁1枚向こうのお隣の家がすっかり破壊されていることに気がついたのだ・・・。
気がつくのが遅れて、しかも1階部分は完全に泥に埋まっていたので、救助は絶望的だったが、私は物を叩いて「居ませんかーー!!」と叫んだ。

周りの家も探して回ったが、ガレキや泥の中からは何の反応もなかった
ある朝が来たら、今まであった周りの数十軒の家が、住人もろとも無くなってしまった・・・そんな不思議な感じだった。

それから何人か生き残った人には会ったけど、何時間かして水が引くまで救助隊は来なかった。
何十人もの人が埋まっているだろう一面の泥の上を歩き回り、建物の残骸を叩いて回ってみたが、やはり反応はなかった。


くまっしぃが住んでいた地区を上流から見た風景。以前は、森があって海は見えなかった

死者は36名(くまっしぃのお隣さん含む) 行方不明者いまだ3名(海中に眠る)

流され壊れた家があまりに多かったために、その状況を見た私は、おそらく100人規模の人が泥に埋まったのではないかと危惧したのだが、最終的な死者・行方不明者は39名だった。
被災したのがたまたま過疎地で、家の数に対して住民が少なかったために、犠牲者数はそこまで多くならずに済んだとは言えるのだが、それ以外にも住む家を失った人は100人以上にのぼるし、崩壊した斜面の規模は、空前絶後の広範囲に及んでいる。


しかしともかく、自分や身内には大きな被害がなかったため、その後の避難生活を続けている中でも、私の場合は落ち込んだり悲しんだりすることはほとんどない。

だから、他の被災者の方々に対して、いつもなんだか申し訳なく思っている
身内を亡くされた方や泥水に呑まれて怖い思いをした方々と比べると、「自分も同じ被災者です」と言うのは、とてもおこがましい気がしているのだ。

そんな私だが、それでも被災地の写真や調査資料を見ると、さっきまでは何ともなかったのに、急に苦しくなってきて涙があふれてくることがある。
たいがいは、まわりに人がいなければ、嗚咽して泣いてしまう
今ではあまりなくなったが、最初の1ヵ月くらいは、災害のことを書こうとパソコンに向かうと、同じような思いが沸き上がってきて、手が止まってしまってなかなか書くことができなかった。

なぜ、苦しい体験をしたわけでもない自分が、なぜこんな感情に襲われるのかは、正直よく分からなかった・・・。

くまっしぃの家にあった車は流されてペチャンコに


アルベール・カミュの「ペスト」という小説に、ある若い新聞記者の話が出てくる。
ペストに襲われ閉鎖された街で、彼は最初は他人ごとのような態度で取材活動を続けているのだが、ペスト患者の救護活動を手伝ううち、いつしか自分がこの事件の「当事者」になったことに気が付く・・・。

私の場合も、これとまったく同じだと思う。
最初は自分は被害が少なかったし、実感が伴わなくて、どこか「他人ごと」のような気持ちでいた。
けれども、長い時間を被災地で過ごし、さまざまな体験をする中で、自分が本当にこの災害の「当事者」になっていったように思う。

くまっしぃ愛用のスクーターも破壊されて泥の中に。これを見るたび泣いた


人それぞれ、 何かを本気で実行していく時には、必ずきっかけとなる瞬間というのがあるのではないだろうか。
その瞬間、頭の中あるいは心の中で何かが弾けたり「スパーク」して、気持ちが切り替わっていくのだと思う。

カミュの小説「ペスト」に出てくる若い新聞記者の場合は、主人公の医師リウーの姿に胸を打たれるシーンがある。
医師リウーには、実は重い病気で死にかけている妻が居るのだが、療養所が遠く離れているために、どれだけ心配しても会うことはできない。
彼はそのことを誰にも話さず、ただじっと耐えながら目の前のペスト患者の治療に必死に取り組んでいる・・・その事実を知った時、若い新聞記者の中で何かが変わるのだ・・・。


私の場合には、災害から10日あまりがたったある日のことだった。
その日は、安倍総理が被災地の視察に訪れることになっていて、避難所にも慰問に来るということだった。
マスコミや政治家がとにかくめんどくさかったその頃の私は、今では考えられないことだが、その日は避難所には寄り付かずにばっくれてしまった。(今思うと、何とももったいないことをした!!)
そして、山崩れが最初に起こった場所を見に、山の一番上の崩壊地点へと向かったのである。


道路に沿って崩壊が起こっている

そこで見たものは、驚くような光景だった。
上の写真のように、山の斜面を削って造られた道路に沿って、規則的に崩壊が起こっていたのである。
しかも、崩壊した斜面全体を上から見下ろしてみると、崩壊した斜面にそって道路(御神火スカイライン)がつづら折りになって幾重にも重なって走っている。 
「これはもしかして、ただの自然災害ではなく、人間の開発がもたらした一種の人災なのではないか??」
その時、私の頭の中で、何かが激しくスパークした

いみじくもその時突然、背後の山の向こうから安倍総理を載せたヘリコプターが現れ、ガレキの中に1人で立ちすくむ私のすぐ数メートルの頭上を超えて、ふもとの町へと飛んでいったのである。
(一瞬のことで写真撮りそこねた!!)


崩壊斜面の中を、幾重にも道路が走っている

それまでは、のほほん自分のことしか考えず、その場しのぎの避難生活を送っていた私の中で、 その時から大きな転換が起こった。
「このまま、眼の前で起こっていることに素知らぬ顔をすることはできない。何でもいいからできることをしよう。」

専門家による災害についての説明会があると聞けば、スッ飛んで行って質問をし、他の被災者の人々とも積極的に交流を持つようになった。

その中で、被災して住む家がなくなっているのに、充分な支援を受けられずに困っている人がたくさん居ることも、少しずつ分かってきた。
たまたま自分は運良く充分な支援を受けられていたのだが、そうでない人々がたくさん居る
目の前に「支援格差」というものが存在する以上、自分だけが支援を受けて安心することはできない

それからは、行政に対して被災者支援の要望をする活動にも、積極的に参加するようになった。


ところで、今回の土砂災害への道路の影響については、実際のところどうなのかは、正直よく分からない。
現在までに、さらに広範囲の現地調査に歩きまわり、専門家の話もたくさん聞いて回っている。
その中で、道路のないところでも斜面崩壊が起こっている箇所が確認できたため、道路がなかったとしても、今回の山崩れが起こった可能性は高いとは思う。

ただ、歴史的に見てもあまりにも規模の大きい斜面崩壊なので、やはりただの自然災害とは思えず、道路や人工物(砂防ダムや植林など)の存在が被害の規模を拡大させた恐れはまだまだ否定しきれない。

もしかしたら、人間が良かれと思って行なってきた自然の開発(土木事業)が、何十人という私の近隣住民を、泥の下に埋めてしまったのかも知れないのである。
それを思うと、とてもやり切れないし、このままほうっておけば、今後も同じような開発が行われ、同じような災害の発生が繰り返されるのかも知れない・・・。

自分にできることは、きっと限られた微々たるものではあろう。
けれども、自分としては、この問題を納得の行くところまで突き詰めていくつもりである。

それはつまり、今回の災害発生に与えた人為的な影響というものが少しでもあるならば、それを明らかにするとともに、今後建設される人工物の構造の修正を求めていく・・・ということである。 
(決して開発をやめろというつもりはない。)


半分病人のような自分に、どこまでのことができるかは分からないが、やれるだけのことはやってみようと思う。

どうか、暖かく見守って頂けたら幸いである。


 →画像ギャラリー「10月17日の被災地」も、併せてご覧下さい。


2 件のコメント:

  1. くらっしゅ2014年2月11日 0:26

    くまっしいさん、応援してますよ! ツイッターでも大島の情報はなるべくRTしています。 観光で訪れてなんか気にいって毎年訪れていたのですが、あの自然災害は本当に悲しい出来事でした。。。 微力ですが、今年も必ず島に遊びに行きます!

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    1. くらっしゅさん、ありがとう!!こちらの手違いで、もらったコメントが公開できない場所に行っちゃって、くまっしぃがコピペしてコメントし直したよ〜〜。ごめんね!!
      またぜひ大島に遊びに来て下さい!!!被災地をガイドするツアーも企画しています。

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