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2014年3月12日水曜日

元町溶岩は災害の原因なのか??

皆様・・・私くまっしぃが不甲斐ないばっかりに、こんな大切な記事を書くのが直前になってしまい、誠に申し訳ない!!!

もう明日になってしまったのだが、いよいよ3月13日(木)19時〜21時、北の山公民館において、土砂災害のメカニズムを解説するセミナーが開催される。

詳細はぜひ上記のリンクをクリックしてご覧頂きたい。
京都大学防災研究所の寺嶋先生、松四先生、王先生(文部科学省の研究グループ)をお迎えして、 昨年10月に伊豆大島で起こったあの大災害が、どのようなメカニズムで発生したのか・・・それを被災者や住民の皆様といっしょに考える機会にできたら・・・と思う。

それにしても、今回のこの解説セミナーは、これまで伊豆大島で開催されてきた他の多くの専門家のセミナーと一体どこがどう違うのか??どんな意義があるのか??・・・この記事でその辺を、詳しく明らかにしたい。
  
もし島内に住んでいらっしゃる方で、この記事を読んでこの解説セミナーに興味を持って頂ける方、来て頂ける方が、1人でもいらっしゃれば幸いである。

それにしても、もう前日になっちゃって、寝てる場合じゃないから、くまっしぃ徹夜で書いてるよ!!!
ひゃっほーー!!!!

山はなぜ崩れたのか・・・人はこれからどこに住めば良いのか・・・


くまっしぃが、「何が原因で、どのようなメカニズムで、このような災害が起きたのか??」・・・ということを、被災してからずっと追求していることは、これまで何度も書いてきた。

まだ災害が起きて最初の頃のことだが、テレビや新聞などでは、今回の土砂災害の発生原因として、誰も彼もが判で押したように「800ミリという前代未聞の雨量」「元町溶岩という地層の存在」という2つの要因を持ち出して説明していた。
(あと、流木ガレキで谷間にダムができて、それで破壊力と被害が拡大したという興味深い説もあったけどねぇ。。。どうなったのかな??)

で・・・どうも、この2つの説明がおかしいんじゃないか??・・・ということには、素人のくまっしぃでもすぐに気がついたんだけど、多くの学者や専門家は、長い間、なかなかこの過ちを認めようとしなかったんだよね。 

この2つの説明が具体的にどうおかしいのかは、後でなが〜〜く書くので、 とりあえず置いといて下さいでしー。

それで、多くの専門家たちは、その後も、テレビや新聞やセミナーやその他色んなところで、テキトーでいい加減な説明をし続けていたんだよね。
このことで、くまっしぃは専門家や学者の先生たちに、たいそうな不信感を抱くようになったわけなんだ。

くまっしぃ、災害とは関係なく、一般的に「専門家」と呼ばれる職業の人たちの仕事が、いかにズサンなやっつけ仕事なのか・・・っていうことを若い頃に色々な現場で見ていてよく知っていたから、まぁ「あぁやっぱりこいつらもあの連中といっしょかぁ」と思ってねぇ・・・。 

だから、今回の大規模な斜面崩壊(いわゆる山津波の原因が、斜面を削って造った道路(御神火スカイライン)にあるのではないか・・・という声に対して、専門家の人たちが口を揃えて「おそらく道路の影響は少なかったでしょう」と説明するのも、納得が行く根拠がちゃんと示されなかったこともあって、まったく信用できなかったんだ。

でもとにかく、「もしも道路が原因だったらどうするんだ??」と納得がいかないもんだから、くまっしぃは日頃から役場やスーパーに貼ってあるチラシその他をチェックしまくって、島内で行われる専門家の災害関係セミナーには、おそらく全部と言って良いほど、出まくった。
そして納得いかなくても、とにかく質問しまくった。

この島の中で、「道路が災害の原因なのではないか?」と疑っている人は今でも多いけど、その中ではくまっしぃは明らかに急先鋒だったし、こんなにセミナーに出まくって質問したり、色々調べたりしている人は、一般住民の中では他にはなかなか居ない。
くまっしぃ、伊豆大島に来てから8年間もの間、ずっと部屋で寝込んでいたから、島民の人は誰もくまっしぃのこと知らなくて、最初の頃は「あぁ、あの道路の人ね」って言われるくらいだった(笑)

殺風景な仮設住宅でも、夕陽は美しい



そんな専門家への不信感のカタマリだったくまっしぃが、あるセミナーで配布された資料を見て「おや??」・・・と思うことがあったんだ。
それは、ずいぶん簡潔にまとめられた1枚のペラ紙で、書いてある文章量は10行もあるかどうかっていうくらいのものだった。
そこには、多くの専門家たちが繰り返し念仏みたいに唱えている「800ミリという前代未聞の雨量」「元町溶岩という地層の存在」という例の2つの説明に対して、ハッキリ疑問を呈する文章が書かれていた。

それは、くまっしぃが、この災害に関連して「あれ??まともなこと言っている専門家の人が居るゾ!!」と初めて思った瞬間だった。
実は、それが今回の解説セミナーでお呼びした京都大学防災研究所の寺嶋先生の書かれたものだったのである。

・・・もう、それだけでも、この解説セミナーには来る価値があるだろうと、くまっしぃなんかは短絡的に思ってしまうんだけどねぇ。

とにかく、その時のセミナーには寺嶋先生はいらっしゃっていなくて、研究の概要だけが書かれたその1枚の紙だけを資料として出していたらしい。
その後、寺嶋先生に連絡をしてアポ取りをしてみたところ、会えるタイミングがつかめたのは、今年の2月の後半のことだった。

そして、いよいよ寺嶋先生に直接お会いできた時には、今まではどの専門家も示してくれなかった「道路が今回の災害の直接的な原因ではない」ということの、「明確な科学的な根拠」というものを、初めて、くまっしぃにもきちんと納得のいく形で、しっかり提示して頂いたのである。

このことによって、くまっしぃは、初めてあの大規模な山津波が、道路が原因で起こった人災ではなく、大雨による自然災害である・・・ということを納得できたのである。
(※厳密に言えば、まだ細かい疑問点はいくつか残っているので、引き続き追求は続けるが、大枠では納得できた。)

その根拠というのは、詳しくはセミナーに来て直接解説を聞いてほしいのだが、かいつまんで言うと、「伊豆大島の地中には、地表からの深さだいたい1メートル前後のところに、水の浸透が非常に悪い難透水層と呼ばれる地層がある」・・・ということである。

実は、この話自体は、他の研究者からも散々聞かされてはいたので、特に目新しい話ではなかったのだが、寺嶋先生は地下水の専門家(水文学)なので、地層ごとに具体的にどれだけの雨量を透水できるのか(浸透した水がどれだけ下の地層に流れていくのか・・・そのハッキリした数値を示してくれた。

つまり、今まで他の専門家からも、「地下1メートルほどの地層に、水を非常に通しにくい層がある」という話は何回か聞いていて、それはだいたい「y2地層」などと呼ばれていた。
でも、ひと口に「非常に通しにくい」とは言っても、表現が漠然としていて、具体的にどれくらいの水の量を通すのか、よく分からなかった。

これはまた後で述べる話だが、「元町溶岩は水を通さない地層だ」という専門家のお決まりの解説も、実はまったく根拠のないデタラメだったりしたので、 いくら「y2地層が水を通しにくい」と抽象的な表現で言われたって、それをそのまま信じるわけにはいかなかったのだ。

ところが、寺嶋先生は、それを実験に基づく科学データとして、きちんとした数値を示してくれたのである。
それは「1時間あたり1ミリ以下の水量しか通さない」という、まさに難透水層と呼ぶにふさわしい地層だというのである。

私などは、伊豆大島の大地は、火山灰でできているから水はけがめちゃくちゃ良いものだと思い込んでいたから、「えぇ????そんなにちょっとしか水を通さない地層があるの???」と、かなりびっくりしてしまった。

こんなに水を通さない地層が、地表からわずか1メートルのところにあるのなら、そりゃあ大雨が降ったら、地面が水を吸い込みきれなくなって、地すべりも起きるわな・・・。
しかも、この地層は、災害の起こった元町地区だけではなくて、実は伊豆大島全土にくまなく分布している・・・というのである。

そして私の理解したところでは、どうも、斜面の角度が30度以上の急斜面で(短時間に)500ミリ前後の大雨が降ると、この地層を引き金とする斜面崩壊がかなりの高確率で発生する・・・ということらしい。
(※ただし、総雨量だけでなくどれだけ短時間に集中して降るかという「降り方」も重要なファクターである。)

今回は、たまたま元町がピタリとその条件にあてはまったから、あのすさまじい山津波が起きたわけで、同じ条件が揃えば、伊豆大島のどこで同じ災害が起こってもおかしくないというのである。
そう言えば、実際に元町だけではなく、北部の泉津地区でもあちこちで土砂崩れが起こって被害が出ているではないか・・・。

これはもしかしたら、伊豆大島に暮らす者なら、誰でも知っておいた方が良いくらいの重要な情報なのではないだろうか???
くまっしぃは、そう思ったので、寺嶋先生に住民向けの今回の解説セミナーをお願いしたのである。
みなさん、よろしかったら、ぜひ来て下さいでしー。

仮設住宅からは、何と富士山もデカデカと見えるのだ



それでは、ここからは、多くの専門家が、今回の災害の原因として挙げていた「800ミリという前代未聞の雨量」「元町溶岩という地層の存在」という2つの説明が、いかにおかしいのか・・・ということを述べていこう。

◆800ミリの雨量の問題について

まず、ひとつ目の「800ミリという前代未聞の雨量で災害が発生した」ということに関しては、厳密に言えば、これはまったく正しくない表現なのである。

私が以前書いた「本当に雨量が原因なのか??」というエントリでも検証したように、800ミリという雨量はあくまで、山のふもとの元町でスポット的に計測した数値に過ぎないのである。
そこは、斜面崩壊の発生現場ではなく、発生現場から離れた町中の観測地点なのだ。

上記のエントリで詳しく検証したように、斜面崩壊が発生した三原山の上部斜面泉津地区での実際の雨量は、およそ「600ミリ」前後・・・おそらくは600ミリ超・・・というのが妥当な数値であろう。

多くの学者・専門家が「800ミリという雨量は、170年に一度の異常事態」などともっともらしい説明をしているのだが、そんな言い方をしてしまうと、てっきり「このような災害は滅多に起こらないんだな」と思ってしまう人も多いだろう。

ところが、実際の災害の発生地点の雨量は600ミリ前後なのである。
800ミリと600ミリでは、ずいぶん話が違う。

確かに800ミリの雨量は、あと170年もたたなきゃそうそう降らないだろう・・・だが、
「600ミリならだいぶ確率上がるんじゃないの???」と思ってしまう。

だって現に、55年前には、規模こそ違えども、同じ場所で同じような災害(狩野川台風)が、少なくとも1度は起こっているのだし。
(※これが、同じ年に2回土砂災害=山津波が起こったという話もあるんだけど・・・。真偽は確認中でしー。 )

それから、今回の台風26号では、たまたま人の住んでいる地区で雨量が600ミリに達したのが、元町地区と泉津地区だけだったから、主たる被害がこの2ヶ所で済んだわけなのである。
ということは、もし今後も500〜600ミリの雨が降ったならば、他の地区でも同じような災害が発生する可能性が高いということになるわけで、これって災害への備えとしてはかなり重要なことなんじゃないの??

何しろ、500〜600ミリの雨量であれば、おそらく10年や20年に1度くらいのスパンで到来しても、全然おかしくないようなレベルの話だ。
確か、400ミリの雨を降らせるくらいの台風でも「10年に1度」と言われていると思うのだが、その時にたまたまスポット的に雨雲が集まって雨量の多いエリアができてしまえば、すぐ500〜600ミリになるだろう。

だけど、間違っても「800ミリという雨量は、170年に一度の異常事態」なんて言っていたら、こんな認識は絶対に生まれてこない。 

私たちは、命をかけてギャンブルをしているわけではないのだ。 
考えられる可能性をきちんと洗い出していくためには、現実を甘く想定することは、決して許されることではない。

だからこそ、「推定600ミリの雨量でこれだけの被害が出たのだから、今後も島内のどこでいつ同じ規模の災害が発生するか分からない」という心構えで警戒していくべきなんじゃないだろうか???

・・・というわけで、「800ミリという雨量は、170年に一度の異常事態」などという発言は、学者・専門家が絶対に言ってはいけない無責任なスカタン発言なのではないかと思うのだ。
なにしろこれはもう、
「皆さん!!統計的には、最大であと170年は安全ですよ〜〜〜!!」と言っているに等しいのだから。
専門家であればあるほど、こんな「現実を甘く見積るようなセリフ」は、絶対に言っちゃいけない・・・とくまっしぃは思う。
(でも、つい先日も聞いたよ、このセリフ)

もう一度、右上のレーダー画像を見て頂きたい。三原山の崩壊地点と泉津地区は、雨量600ミリくらいだ。(出典:気象庁)


◆元町溶岩は災害の原因なのか?

ずいぶん長い前置きだったが、ここからようやく本記事のタイトルに掲げた「元町溶岩」の問題に入ることができる。いやー、長かったー!!

さて、多くの専門家が「元町溶岩という地層」の存在を、今回、三原山の斜面で起こった「地すべりの原因」として説明に使ってきたことは、冒頭の方でも述べた通りだ。

この「元町溶岩」というのは、今から700年近く前の14世紀(1338年頃??)に起こった火山噴火によって、三原山の西側斜面(現在の元町地区)に幅広く流れ落ちた溶岩流が、冷えて固まったものである。
伊豆大島の三原山の溶岩というのは、ハワイの火山みたいに柔らかくて川のようにドロドロ流れるタイプのやつなのだが、これが冷えて固まると、カッチカチの岩場(岩盤??)になる。

噴火の時に、まるで海のように一面に広がる溶岩の川が、三原山の西側斜面を覆い尽くして流れ下り、やがてそのままそこで冷えて固まって、カッチカチの岩盤になって、それがそのまま地層になっていったのである。

その元町溶岩層の上には、その後の数百年間の噴火活動で降り積もった火山灰の層が、何メートルにもわたって、厚く堆積している。
さらにその上に、木が生えて地表ができていたり、人間が畑を作ったり、家を建てたりしている・・・というのが、現在の伊豆大島・元町地区の状態なのである。

つまり、伊豆大島の中でも一番人口が多い「元町地区」というのは、元町溶岩というカッチカチの溶岩でできた地層の、何メートルも上に成り立っているのだ。

そして、元町溶岩という地層は、なにせカッチカチの岩のカタマリなのだから、これをもって多くの学者・専門家の先生方は、「元町溶岩層は水を通しにくい層に違いない」と考えた(決めつけた?)・・・というわけである。


一方で、溶岩の上に厚く積もっている火山灰は、私たち島民も皆こぞって水はけが良いと信じ込んでいたくらいなのだから、 それらの先生も当然そのように考えたのである。

よく島の人からは、「大島の地面は火山灰でできているからザルのように水を通すんだ」なんて言われていたものだが、実際にちょっとくらいの雨が降っても、水はけの良い火山灰土壌に全部吸い込まれてしまうのだ。
だから、伊豆大島には川というものが1本も流れていない。
強い雨が降っている間だけ水が流れる「枯れ沢」はいっぱい走っているが、雨がやむとすぐに、水はなくなってしまう。

水を通しにくい溶岩の地層の上に、水はけの良い火山灰土壌が乗っかっている・・・。

この2つの地層の違いを見て、多くの専門家たちは、(水を通さない)溶岩層のところに、許容量を超えるほどの大量の地下水がたまってしまって、性質の違う2つの地層の間にずれが生じて、地すべりが発生したのでは・・・」と、災害のメカニズムを説明することを思いついた。

そして、まるでそれを裏付けるかのように・・・今回の三原山の崩壊した斜面の地図と、元町溶岩層が分布しているエリアの地図を重ねてみると・・・これがなかなかピッタリと重なってくるのである。

これを見て、多くの学者たちが、短絡的に元町溶岩こそが、今回の山崩れ・地すべりを引き起こした大きな要因であろう」と考えてしまったのも無理はなかった・・・。

とりあえずは、下の図を見て頂きたい。

薄いオレンジ色が元町溶岩流の分布、赤い色が今回の斜面崩壊の範囲(出典:国土地理院)

これを見ると、確かに中央の規模の大きい斜面崩壊(山崩れ)の範囲は、元町溶岩層の分布範囲ときれいに重なっている。
これをもって、専門家の先生方は、揃いも揃って「元町溶岩が地すべりの原因です」と言っていた訳である。

このように「元町溶岩層」を、斜面崩壊の大きな要因と考えることを、とりあえず学会での呼び名に従って「溶岩不透水層説」と呼んでおこう。


では、次にこの「溶岩不透水層説」 が、本当に正しいのか検証してみよう。

まず、先ほどの図をよく見て頂ければすぐに分かるように、元町溶岩層の分布以外のところでも、赤色で示された地すべり・斜面崩壊はたくさん発生している。
特に、画像の下の方(方角では南)では、幅は狭いが、かなりたくさん発生していることが分かる。

それでも当初、「溶岩不透水層説」を推してた先生方は、
「元町溶岩のあるところの方が崩壊の規模が大きく、溶岩のないところでは崩壊の規模が小さい。だから、やはり溶岩が、斜面崩壊に大きな役割を果たしているのだ。」
と説明していたと思う。

だが、他の専門家がコンピュータを使って力学的・構造的に計算をしてみた結果、この崩壊の規模の違いは、単に「地形の違い」「斜面の角度の違い」によるものであることが、あっさりと明らかになってしまったのだ。

つまり、元町溶岩の分布しているエリアの方が、斜面に凹凸が少なくなだらかなので、横に幅広く連鎖して崩れ落ちていき・・・一方で、図の南側の斜面は、狭く急峻な谷間が入り組んでいるために、幅の広い崩壊がそもそも起こりえないのだという。
(専門家なのであれば、 それくらいのことはコンピュータなど使わなくても、頭の中でイメージングするなりすれば、すぐ分かりそうなものだが・・・???・・・どうなんだろ??)

そればかりではない。
もし本当に溶岩層が地すべりのきっかけになった地層なのだとしたら、その説明の中では「溶岩層と火山灰層の境目ですべった」とされているのだから、地すべりが起きて崩壊した斜面の跡地は、上部の火山灰層が滑り落ちて全て無くなり、溶岩層がむき出しで露出しているはずなのである・・・。

ところが、山の上の方の崩壊現場を見に行ってみても、あるのはただ、見渡す限りの真っ黒い火山灰の地層がむき出しになった「砂漠」のような風景だけである。
肝心の、溶岩の地層が露出しているような箇所は、現場を歩いてみれば、ほんのところどころにしか見られない。

つまり、現在も、元町溶岩層の上には、まだ何メートルもの火山灰の地層が厚く覆いかぶさっている状態なのである。
もちろんそれは、さらに上流から滑り落ちてきた火山灰が積もったものなのではなく、災害の前から積もっていた火山灰層が、きれいに地層をなしてそのまま残っているのである。

これではどう考えても、地すべりが起きたのは、溶岩層よりも何メートルも上の表面に近い地層・・・ということになる。
間違いなく、地すべりは、地表からごく浅い火山灰層の中で起きたのだ。
これは、現場をひと目見るだけでしっかり分かる、明白かつ動かしがたい事実なのである。

こんなことは、現場をちょっとでも歩いてみれば、素人の私にでもすぐに分かることだ。

それなのに、「溶岩不透水層説」を真剣に唱えている学者の先生というのは、現場に来て見てまわることもしないで、もしかしたら現場の写真すらまともに見ていないのではないか・・・と、私としてはその神経を本気で疑わずにはいられない。

地すべりの発生した山の上流部も、見渡す限りの火山灰に覆われている


そんなことで、多くの専門家の方々の「800ミリという前代未聞の雨量」「溶岩不透水層説」という上記2つの説明が、いかにスカタンなものなのかを紹介してきた。

今回の災害解説セミナーの寺嶋先生は、これまで述べてきたようなくまっしぃが「おかしい」と思ったポイントをすべて指摘された上で、さらに「溶岩層というのは、細かいヒビも入っていてそれなりに水を通すので、決して不透水層ではない」ということも付け加えておられる。

溶岩層というのは、確かにカッチカチに固いけれども、小さなすき間がたくさんあるので、それなりに水を通す(浸透する)ものなのだそうだ。
固さと水の通しやすさとは、実は関係ないのだ。
ということは、そもそも「溶岩不透水層説」など、最初から成り立ちようがなかったことになる。

ただ、寺嶋先生によれば、溶岩層が地すべりの直接の原因ではないとは言っても、一方で、ここまで斜面崩壊の規模(ひいては災害の規模)を大きくしたのは、元町溶岩層の影響が大きいのだという。

どういうことかというと、先ほど、元町地区上流の斜面の崩壊規模が大きかったのは、斜面の起伏が少なく、なだらかな平面状の地形だったために崩壊の規模が幅広くなった・・・ということを述べた。
それが実は、14世紀の噴火の時の「元町溶岩流」によって形作られた地形なのだ・・・ということなのである。

元町地区の斜面も、元々は三原山の他の斜面と同じように、谷間が多く起伏に富んだ地形だったのだが、この14世紀の噴火で流出した大量の溶岩流によって、多くの谷間が埋められてしまい、結果的に比較的平坦な地形になったのである。

だから、「元町溶岩は、地すべりの主な原因ではないが、平坦な地形を形成して地すべりの規模を大きくするという影響を与えた」ということになる。
しかし、これはあくまでも「溶岩不透水層説」とはまったく異なる話なのだ。


さすがに現在では、「溶岩不透水層説」が旗色が悪いことが明らかになってきたのだろうが、この説を正面切って推す人はだいぶ少なくなってきたようではある。

今回のセミナーでは、このようなおかしな潮流に流されることなく、誠実に、この災害がなぜ起こったのか、そしてこれからの災害の危険性はどうなのか・・・ということを研究して下さっている方々に、被災者や一般住民への解説をお願いすることができた。

これまで、島内で行われてきた専門家のセミナーでは、この記事で述べたようなおかしな専門家の言説に対してしっかり訂正するようなこともあまりなかったし、島の住民が求める情報についても、有力な答えはなかなか返ってくることもなかった。

そのため、住民の関心はどんどん低下していっている
最初に行われた専門家のセミナーでは、100人近い聴衆が押し寄せてきて、すごい熱気だったのに、最近ではまばらな客席が当たり前の状態である。

だが今回のセミナーでは、今までずっと住民が求めていた情報が、きっと納得の行くレベルで得られるのではないかと、くまっしぃは思っている。
寺嶋先生のグループは、ある程度はっきりとした科学的な情報と、説明すべき内容をちゃんと持っているからだ。

ぜひ、これからの私たちの復興やまちづくりのために、こうした災害についての有益な知見をしっかり生かしていこうではないか。

当日の天気がどうも悪そうなのが残念なのだが、ぜひ皆様、このセミナーにお越し頂き、ともに考えて頂ければ、くまっしぃはとても嬉しいのである。

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