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2014年3月25日火曜日

マスコミ報道はすべてフィクションである

改めて今さらこんなことを書くのも何だが・・・日本のマスコミ報道が妙に「片寄っている」ことは、もちろん以前から知ってはいたし、一般社会の間でもそのくらいは常識であろう。

それが、被災して以降というもの、私としても、マスコミ報道が「漠然とした他人事」ではなくなってきた・・・ということで、このような話を書くハメになったわけである。

なにしろ私くまっしぃ自身も、これまで数十件に及ぶ取材を受けてきたし、マスコミの人々との接触もかなり多く重ねてきた。
さらに最近のテレビ報道などを見るにつけ・・・これは単に片寄っているというレベルではなく、「マスコミの報道している内容は、すべてフィクションなのではないか??と思えてきたのである。 

これを読んで下さっているマスコミ関係者の方は、どうかお気を悪くしないで頂きたいし、特に朝日新聞・共同通信・東京新聞・東京MXなどには、大変良心的な報道をして下さる記者が多いことも(※会社単位でどうかは別にして)特筆しておきたい。

もちろん、このくまっしぃジャーナルだって、私くまっしぃ個人の主観を通して書いているわけだから、客観的な事実そのまんま・・・というわけではないのは自覚している。
だが、「フィクションである」というのは、そういう生やさしいレベルの話ではなくて、
「取材する前からシナリオができあがっている」

「事実をねじ曲げて、マスコミ側が考えたストーリー仕立てに全部はめ込んで報道する」

「完全にフィクションの理論を、まるで正しい話かのように報道する」
といったことなのである。

いつも、なかよしでし〜〜


つまり、最初からマスコミ側の都合に合わせて報道する内容が決まっており、取材活動としては、事前に用意されたシナリオに合うような素材を探してきて、それをシナリオに沿った内容に編集していくのである。

実際の伊豆大島での取材報道がどんなものなのかは詳しく後述するとして、それよりも私が一番悪質だと思うのは、3番目にあげた「フィクションの理論を報道する」という点である。

伊豆大島での「山津波」と呼ばれる土砂災害が発生したメカニズムについて、マスコミがずっと「水を通さない溶岩層が原因である」との“トンデモ説”を繰り返し報道をしていたことは、すでに過去の記事で指摘した通りである。

ハッキリ言って、溶岩層が水を通さない・・・という話は、何の科学的根拠もないフィクションである。
これまでに発表されている学術的な資料をきちんと検証さえすれば、あるいは被災現場をきちんと見てまわれば、このような“荒唐無稽な説”が成立するはずはないのである。

これは、マスコミが「一般人に説明しやすい理論をデッチ上げて、まともな検証もなくタレ流す」ことの好例だと思う。
もちろん、伊豆大島の報道については、マスコミにとって利害関係があることではないので、何かの動機があっていい加減な報道をしたわけではないだろう。

それでも、マスコミが科学的根拠のないフィクション理論を平然と報道する体質であることが、よく現れていると思う。


最近のマスコミ報道で、特にフィクションぶりがひどいと思うのが、「消費税増税」に関する報道だ。
いわく「消費税を増税すると、景気が落ち込むので、景気対策が必要だ」などという大ウソを、平然と報道している。

この何気ないワンフレーズには、間違っている点が2つもある
まずひとつは、消費税を増税したからと言って、それで景気に影響が及ぶことはありえないし、次に、公共事業や減税を行なったとしても、それで景気が上向くということもまた絶対にありえない・・・ということである。

増税にしても景気対策にしても、いずれも「景気への影響はプラスマイナスではゼロ」・・・というのが、経済学的に正しい答えである。

なぜなら、増税によって庶民から吸い上げられたお金は、政府が別のところで福祉などに使うことにより、また社会の中に還元されて戻っていくものだからである。
つまり、社会全体でのお金の流れは、増えもしなければ減りもしないので、景気への影響はプラスマイナスでゼロ・・・ということになるのである。

逆に、景気対策として国債を発行して公共事業を行ったりすることも、同じく景気に対しては何の効果もないことは強調しておくべきだろう。
なぜなら、景気対策のために民間にバラまくお金というのは、国債の発行なり増税なりで、もともと民間のお金を吸い上げて集めてきたお金だから・・・やはり、お金の流れはプラスマイナスでゼロなのである。

このことを、経済学ではクラウディングアウト効果というが、こんなことは経済学の基本中の基本であり、よくよく考えてみれば誰にでも分かることだ。
政府の景気対策が何の効果ももたらしていないことは、おそらく皆さんが実感としてよく分かっていらっしゃるだろう。

繰り返しになるが、景気が良くなったり悪くなったりするのは、世の中で流通するお金の量が増えるか減るかに左右されるのである。
そして、そのお金の流通量をコントロールしているのは、政府の役割ではなく、日銀を中心とする「金融システム」の役割になるのだ。

消費税や政府の経済対策によって、個々の家庭が、生活が苦しくなったり逆に恩恵を受けたり・・・といった影響を受けることはもちろんあるのだが、それによって世の中全体の景気が影響を受けるということはありえない・・・のである。

(※この消費税に関する詳しい話は、大幅な加筆を加えた上で、「ゼロコスト社会ウォッチャー 消費税の本当の目的とは・・・何か??」に移動したので、ぜひそちらでお読み下さいでしー。)


もっとも、このことで私が言いたいのは、消費税の増税が何も問題ないということではなく、実際にはまったく効果のない「経済対策」というものが、あたかも景気対策に効果があるように偽装して報道・宣伝されている・・・ということなのである。

政府の「経済対策」というものが景気の落ち込みを防止するというのは、まったくのフィクションであり、その実態は、増税して庶民から巻き上げたお金をゼネコンや大企業に注入する・・・ということに他ならないのである。

そして、よく知らずに間違った理論をタレ流しているならともかく、大元でシナリオを書いている人たちはちゃんと事実とはかけ離れていることが分かっていて、確信犯的にそのような誤った理論を流しているのであるから、これは完全なフィクションであろう。

核心部に居るマスコミ関係者や経済学者は、もちろんちゃんと分かっていてこうしたフィクション報道に加担しているし、一方で大多数の現場レベルの人々は、脳天気に何も分からずに動かされている・・・のが実態だと思う。

要は、マスコミマスコミの御用学者たちは、政府の方針を都合よく実施・宣伝させるために、国民を信じさせるためのストーリーをデッチ上げてタレ流しているのである。

そして、そういう長年の体質がすべてにおいて浸透してしまっているので、今回のような災害報道においても、“トンデモ説”に類するような「水を通さない溶岩層が地すべりの原因だ」などという説を、検証もなく平気で報道してしまったのだと思う。

2月に行われた都知事選挙でも、マスコミの報道の仕方は、最初から明らかに作為に満ちて片寄ったものだった。
特定の候補者ばかりを好意的に報道しまくっていて、対抗馬の細川護煕氏には不利な報道を執拗に行い、一方で田母神俊雄氏については報道をほとんどせずに黙殺するなど、明らかな世論誘導を行なっていたように思う。

さらに、その特定候補の金銭スキャンダルについては、なぜかどのマスコミでも、まったく報道されなかった。猪瀬・前知事の5千万問題などケチくさく思えるような、巨額な税金不正流用疑惑なのにも関わらず・・・である。
これは、完全な「エコひいき」というやつであろう。

ただ、マスコミは時に政府批判のような報道をバンバン流すことがあるので、一般の方々は、「マスコミが政府のコントロール下にある」と言ってもピンとはこないと思う。

しかし、よくよくマスコミの報道を見ていれば分かるのだが、批判しているのはあくまで政府の一部の勢力だけを叩いているのであって、政府全体を批判しているわけではない。
政府の内部でも、省庁や政治勢力ごとに激しい主導権争いというものがあるので、どこか特定の勢力がマスコミを利用して、別の勢力を叩くための報道を行わせている・・・というのが実態なのであろう。

政府とか政治勢力というものは、決して一枚岩ではないのであり、各勢力ごとにマスコミに取り入っては、自分たちに都合の良い報道を流させているので、時として同じ報道会社でも、突然今までとはまったく違うことを言い出したりすることも、決して珍しくはない。

現場で駆け回っている記者さんたちには、そのような上層部の熾烈な駆け引きなど別世界の話ではあろうが、どんなに誠実で善良な記者さんがたくさん居るとしても、残念ながら大手マスコミの報道は、全体としては政府や既得権者に都合よくコントロールされたフィクションである・・・と言わざるを得ないのである。

どうもビッグブラザーの世界そのまんまの気が・・・


ここからは、伊豆大島での災害の取材報道が、いかにフィクションであるか・・・という話をしよう。
私はお人好しにも、てっきりこのような災害が起こったら、マスコミは現場に駆けつけて、被災者や救援関係者などの「生の声」を取材して報道するものとばかり思っていた。
なにせ、災害報道には、政治的な利害関係など特にないだろうから・・・。

だが、災害現場を踏み荒らす取材記者たちの取材方法は、マスコミにもとから好印象など持っていなかった私からしても、なかなか驚愕するものだった。

私自身が、何十件にも及ぶ取材・インタビューを受けてきて、つくづく実感したことなのだが、ほとんどのマスコミ記者は、最初から報道するストーリーが作ってあって、それに沿った質問をしてくるので、まるで「誘導尋問」を受けているみたいなのである。

それで、マスコミ側が期待するような回答をしなければ、それは一切報道されないのである。
事実、私が受けた数十件の取材は、ほとんど1行の記事にもなることがなかった

こうしたことは、私以外の被災者からも、同じ声を複数聞いている
だが、被災者の中には話したがりでマスコミ好きの人たちがいっぱい居るし、それこそお人好しのおじいちゃんおばあちゃんは、そういう取材をされても特にそれを悪く思ったりはしない。
だから、私が今ここに書くまでは、せいぜい飲み屋の片隅くらいでしか、特に問題とはされてこなかったのである。


例えば、覚えておられる方も多いだろうが、災害の発生当初にはマスコミは、大島町役場と町長を悪者に吊るし上げて、「戦犯扱い」の報道を繰り返した。
「大島町長が出張して島を留守にし、避難勧告を出さなかったことが、被害を大きくした最大の原因である」
というストーリーを作り上げて、それに沿った報道しか行わなかったのである。

被災者へのインタビューでも、必ずこのことを言わせようとして、「災害の当日、避難勧告は出ましたか?」「避難勧告が出ていればどうだったと思いますか?」などと、答えの決まった誘導尋問をしかけてくるのである。
ひと言でも、それを肯定するような発言をすればそこを拾って利用するし、逆に、町役場をフォローするような発言をすれば、そこは編集でカットされてしまうのだ。

確かに、誰かを悪者に吊るし上げて、「これだけ被害が出た原因はお前のせいだ!!」と責め立てれば、話は分かりやすいし、皆がやり場のない怒りをぶつけることもできる。
だがそれは、マスコミ的に分かりやすく作られたフィクションであり、客観的な事実ではない。
災害報道に限らず、誰かをスケープゴートにしたてて責め立てるのは、マスコミの常套手段である。

もちろん、町長や町役場の対応に大きな責任があることは動かしようのない事実であり、私としても免責をするつもりはまったくない。
だからといって、事前に避難勧告が出ていれば被害がどれだけ減ったのか・・・というのはまったくの別問題である。

正直に申し上げるが、私を含めて、あの台風の時に「危機感」を持っていた住民は、少なくとも被災した地域にはほとんど居なかったと思う。
避難勧告が出たとしても油断して避難しなかった住民は多数居たはずであり、避難勧告の効果は極めて限定的なものでしかなかっただろう。

何しろ、「伊豆大島は火山灰でできた水はけの良い土壌だ。水害や、大規模な山崩れなど絶対に起こるはずがない。」 と、多くの住民が思い込んでいた。
夜も寝ずに警戒していた住民が一部に居たという話も聞いてはいるが、それでも大多数は、まったく油断していた・・・というのが実態だろう。

私は、災害の前日にちょっとした用事があって、台風の豪雨の中を、後で被災したエリア全域にわたって歩き回った。
災害が発生する半日以上前の時点で既に、すさまじい雨が降り続け、道路は見たこともないほどの濁流であふれ返っていたのだが、住民には何らの警戒感も見られなかった・・・というのが、私の率直な感想だ。

私自身が、「これはヤバイ!!タダゴトじゃないぞ!!」と危機感を感じながらも、避難までしようとは思わなかったくらいで・・・それだけ、土砂災害への実感は薄かったのだ。
だから、例え実際に避難勧告が出ていても、私は本気にはしないで避難しなかっただろうし、住民の半分以上が同じ態度だっただろう。

それもこれも、我々住民の側には避難する心づもりがまったくできていなかったのであり、それはもっと前々から長い時間をかけて醸成しなければならない心構えだったのではないだろうか・・・と思う。

実際に、あの大災害が起こった直後なのにも関わらず、被災後にまた次の台風が接近してきた時には、「避難所になんか行きたくない」と言って、ガンとして避難しない人がたくさん居たのだ。それも、本当に山の斜面に面した危険地域なのに・・・。

同じ台風26号の時に避難がうまくいった神津島では、単に町が避難勧告を出しただけではなく、前々から住民との間で意識づくりが行われていたからこそ、あのように台風の際の避難ができたのでは・・・と私は思う。

このような指摘を、マスコミに何度となくしてはみたが、残念ながら1度も報道されなかった


マスコミにしてみれば、災害の原因については、「町長が悪い」「町役場が悪い」で一丁上がりというわけで、あとはいかに読者・視聴者の共感を誘える「被災者のお涙頂戴ものがたり」が得られるか・・・ただそれだけなのである。

今回の災害では、40人近い死者・行方不明者の他に、200人以上の被災者が居るにも関わらず、マスコミに登場する被災者は、なぜか決まった人ばかりである。

全国の読者・視聴者からすれば、たまにしか見ない報道だから、何回も同じ人が出ていることは分からないだろうが、こちらからしたら「あ、またこの人出てる」という感じである。

どうしても「マスコミ受けする人」というのは居るもので、おじいちゃん・おばあちゃんの苦労話とか、間一髪のところで土砂から逃れ九死に一生を得た話・・・など、読者受け・視聴者受けする話ばかりが取り上げられる。
しかも、前後の文脈などはすっ飛ばして、一部分だけを都合よく切り取って報道しているだけなので、私には客観的報道とは思えない。

もちろんそのような被災者のストーリーが報道されるのは、それはそれでとても大切なことだと思うのが、そればっかりになっているのは、どうにも偏向報道なのでは・・・と感じざるを得ない。

会社自体として、そのようなストーリー報道に徹する方針があるのであろう。
現場の取材記者が、本社の編集デスクから、そのような指令を受けて動いているんだろうな・・・というケースもよく見受けられる。

決して、報道されていることばかりが伊豆大島の現実なのではなく、私たち被災者の中にも、多種多様な姿があるのだ。


この他にも、マスコミがあらかじめ「シナリオ」「ストーリー」を作ってから取材にやってくるということは、枚挙にいとまがない。

例えば、仮設住宅に引っ越した時には、某有名番組が「伊豆大島の仮設住宅は風に強い造りになっている」という話を取材に来たので、私としては仮設住宅の良い所も悪い所もひとしきり説明したのだが・・・結局、その番組では、事前に決まっていたストーリー以外のことは一切取り上げようとしなかった。

被災者のインタビューというのは、単に事前に決められた伊豆大島の仮設住宅が風に強い造りになっている」というストーリーを追認させるために、あくまで形だけ撮影されているに過ぎないのである。

強調しておきたいのは、実際の人間が、映像や写真で映っているからといって、それが実際の現場を映し出すものとは限らない・・・ということだ。
編集の仕方によってはどのような見せ方をすることもできるし、被写体(被災者)が遠まわしに演技をさせられていることだって珍しくはない。
私自身、被災地で犠牲者に手を合わせる演技を、取材記者から遠まわしに求められたことがある。

あるいは、椿まつりが開催されるとなれば、「椿まつりで復興が進む伊豆大島」というイメージを取材するためにマスコミが大挙来島してきた。
だが、実際には数十人の観光客しか来ていないのに、盛大にまつりが行われ復興が進んでいるかのような誤ったイメージを報道していたのも、過去にレポートした通りである。

先日の別の記事でも書いた通り、椿まつりの来客数は、前年比65%減というのが実態で、実にさんたんたる結果に終わったのだが、そういうことはまったく報道されていないと思う。

その一方で失礼ながら、東京新聞や東京MXみたいにマイナーな会社になればなるほど、そのような「事前の仕込み」をせずに、現場の記者が自由に考えて取材している・・・というのがとても印象的だった。
これは逆に言えば、影響の大きなマスコミほど、上からのコントロールに慣らされている・・・ということだろう。

以前、東京新聞の人に、他社マスコミがあらかじめ報道するストーリーを作ってから来島し取材していることを話したら、本気でびっくりしていた(笑)ので、やはり会社による違いも大きいのだと思う。


今回の災害とは関係なく、一般の事件報道などでも、「なぜこの事件ばかり大きく報道するのだろう??」という疑問をよく感じる。

世の中では、日々いろいろな事件が無数に起こっているのに、特定の種類の事件ばかり報道するのには、やはり一種の作為を感じるわけで、ストーカー事件を集中的に報道してみたり、ネット詐欺について集中的に報道してみたり・・・それが決して世の中全般の現実というわけではないのに、マスコミが世の中についてのイメージを作り上げている。

例えば、よく田舎に住んでいるおじいちゃん・おばあちゃんは、「警察24時」などの番組を見ていて、東京がとんでもなく凶悪で危険な街だと思い込んでいたりする。

あるいは、マスコミは「インターネットは個人情報が流失したり事件に巻き込まれたり危険な世界だ」・・・というイメージを作りがちだが、それは現実世界でも同じように危険なことなのであって、確率から言えばインターネットが特別に危険というわけでもない。

そして、「現代の若者は何を考えているか分からない」というイメージをわざわざ形作るような、若者の凶悪事件の報道の数々・・・。
実際には、現代の若者はとても真面目で優秀な人が多く、ほとんどの人は危険でも何でもないのに、「イマドキの若者は怖い」と勝手に思い込んでいるおじちゃん・おばちゃんも意外と多い。
統計をとってみれば、昔より若者の犯罪率はよっぽど減っていたりするのだが・・・。

事件報道にしろ災害報道にしろ、マスコミの報道というものは、結局は作為のなされた「シナリオありき」のフィクション報道なのである。

もちろん、フィクションだって何らかの事実をモデルにして作るわけであるから、マスコミ報道が何から何まで捏造だらけ・・・という意味ではない。
事実をもとにして都合よく組み立てられたストーリー・・・というのが、まぁ公平な見立てであろう。
あるいは、半分は事実に基づきつつも、あと半分はスタジオで再構成されたドラマだ・・・と考えるのが妥当だと思う。

何度も言うが、多くの現場記者にはそのようなつもりもないし、悪気もないのである。
これは、「記者クラブ問題」などで他の多くの人から指摘されているように、マスコミの構造的な問題なのである。

私たち伊豆大島の被災者も、マスコミ報道によって、多くの支援や義援金を受け取ることができたわけなので、私としても別に、マスコミに恨みがあるわけではないし、バッシングしたいわけでもない。
ただ、マスコミ報道は、このように多重のバイアス(作為)がかかっているものなのだ・・・という指摘をしておくことは、 きわめて重要なことであろう。

おそらく今後も、我がくまっしぃジャーナルとしては、マスコミとはまったくスタンスや内容の違う報道をしていくことになるであろうが、マスコミが伝えない現場の姿を、(もちろん私くまっしぃなりにではあるが)できる限り伝えていこう・・・と思っているのである。

3 件のコメント:

  1. ひでぴょん2014年3月25日 23:45

    記事が商品だから、ということなのでしょう。
    加工食品と同じで、
    無添加だから、手作りだから、
    が理由で圧倒的に売れて利益が出る、
    のとは違うのでしょう。
    くまっしぃJは、家庭料理みたいな感じだね。材料は何を使っているか、完全にわかっている状況がう!

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    1. なるほど、うまいことゆうでしー。
      さすがひでぴょん!!!
      くまっしぃジャーナルは、素人料理まるだしでしーー!!!

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  2. 安藤美姫も、日本のマスコミは、あらかじめ聞きたい答えが決まっている質問ばかりしてきて変だってゆってるでしー。

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