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2014年3月10日月曜日

社会主義を卒業しよう

くまっしぃ一家が、先日の天皇陛下ご来島時に、警察や行政から手ひどい「ジャマモノ扱い」を受けたことは、先日の記事に書いた通りである。

このことに関しては、くまっしぃもつくづく思うところがあった。
その時に思ったことを書いてあったのだが、なかなかまとめる時間がなくて、遅くなってしまった。
改めてここで、くまっしぃからの重要メッセージを発表しておきたい。 


“あの日あの時”、被災地で見た夕暮れ(2013年10月21日・撮影)


あれから、ポツポツと色々な話を伝え聞いたのだが、東京から警備に来ていた機動隊だか警視庁の人だかが、仕事が終わってから「日本中のどこに天皇陛下が訪れても、必ず何かしらの問題が起きるのに、伊豆大島ではまったく何も起こらなかった!!」と驚いていた・・・というのである。

何を言ってやがるんだ??・・・公の場では誰もがおとなしくて、体制にはとことん従順・・・それが伊豆大島ってもんだろうが!!・・・と地元のことを何も知らないで仕事に乗り込んでくる連中に呆れ返りつつも・・・あまり他人のことは言えない脳天気者なので、くまっしぃも逆に「え??そんなに他の地域では騒ぎ起こす人が居るの??」と、びっくりしてしまった。

よく考えてみれば、天皇制に反対する人とか、何か直訴しようとする人とか、そういう人が地域に1人や2人居てもおかしくはない。
しかも本土であれば、近隣の地域からもそういう活動家やなんかが駆けつけてくることが、当たり前なんだろう。

でも、ここは海で隔てられた離島なんであって、いくら観光客や転勤族が居るとは言ったって、すべてにおいて本土とは全然感覚が違うんだよね。

まぁそうは言っても、どこへ行ってもトラブルを起こす奴が居る・・・ということなら、警備の人があれだけ厳重にものものしくしていたことも、理解できなくはない気がしてくる。
彼らは、彼らの仕事を熱心に遂行していたわけだ・・・。

ただ、やり方があまりにシステマチックすぎて、柔軟な配慮が足りなかったのだと思う。


それにしても、天皇陛下ご来島の日の夜に「朝まで生テレビ」を見てたら、やっぱり東北地方でも「行政が上から目線で被災者をモノ扱いする」という状況は、だいたい同じようなのである。

一部の自治体が、とても親身な被災者対応をしているという奇跡のような?話もたまには聞くけど、それがどうも例外に過ぎない・・・ということは、先日の大雪のニュースを見ていればよく分かる。
日本中どこの自治体でも、大なり小なり差はあっても、硬直した対応しかとれないということは、結局は同じなのだ。

言ってしまえば、行政なんて、良くも悪くもマシーンなのである。
しょせん住民の気持ちなんて考えてはくれなくて、いつもシステマチックに、決められたマニュアル対応しかしてくれない。

もちろん、役場の職員1人1人は、血の通った生身の人間で、親身な気持ちで対応してくれる人もたくさん居るだろう。
しかし、行政の仕事というものは、本質的にマシーンとして遂行するようにできているので、はみ出すことは許されない。
個人個人がどれだけ気持ちを持って取り組んでくれても、組織全体としてはマシーンとしてしか機能しないようになっている。

だから、マニュアルに載っていない「想定外」の災害が起こってしまえば、マニュアルがないから何にも対応ができなくて、ただおろおろするばかり・・・。
後は、新しいマニュアルが完成されるまで、被災住民は見殺しにされるか、ほったらかしにされるしかないのである。

今回の災害が起こった時も、大島町は、自分たちからはなかなか自衛隊の出動要請もできなかったし、生き残った被災者のために仮設住宅を建設することさえ、いつまでたっても決められなかった。

警察にしたって同じだ。
天皇陛下が来られると聞けば、とりあえずマニュアルに従って住民を全部家の中に押し込んでしまうし、警備のためには、たとえ被災者であっても善良な市民であっても平気で「犯罪者扱い」をする・・・。
(※言っておくが、くまっしぃ以外にも、何人もの被災者や一般住民がこの扱いにはショックを受けていたよ!!)

何でもかんでも全部を、無理矢理にでもマニュアル的な管理下に置こうとするから、状況に応じた柔軟な対応なんて、彼らには望むべくもない。
住民の気持ちや立場なんて、いつだっておかまいなしだ。

被災3日目でも、町中はこんな様子だった


なんで、行政とか政府っていうのは、いつだってこんなものなのか・・・??
「被災者の会」の人たちも、しょっちゅうそんなこと言ってはボヤいているんだけどさ・・・くまっしぃに言わせれば、そんなの答えははっきりしているよ。

日本っていうのは、いわゆる「官僚主義」の国なので、昔から、何でもかんでも 
型にはまったお役所仕事しかできないんだよね。
官僚主義・・・っていうのは、よくマスコミでも言われているから、みんなも日本がどうしようもないガチガチの官僚主義国家なんだ・・・ってことはしっかり認識していると思う。

でもこれって、もっとハッキリと言い換えたら、実は「日本は社会主義の国だ」っていうことなんだ。

日本という国は、表面的な体裁はともかく、実態を見れば明らかに、民主主義国でもなければ自由主義国でもなく、ましてや資本主義国でもない。
今や、日本が「世界で最も成功した社会主義国」だっていうことは、知識人やビジネスマンなんかの間では、すっかり世界の常識になっている。

一般の日本人が、まるで無自覚で脳天気に、そのことを知らないというだけの話で、これは公然の秘密というか、疑いようもない明白な事実なのである。


このことは、政府中枢に居た人たちの書いた「1940年体制」という有名な本(※絶版)なんかにもハッキリと書いてあるので、興味のある方は、古本でも探して読んでみると良いだろう。

かいつまんで言えば、戦前〜戦中にかけて、いわゆる「戦時経済」とか「統制経済」と呼ばれる、強力な国家統制の経済・文化・社会の体制が作り上げられてきたのだ。
そして戦後も、その「全国民・全組織の従順さ」が、アメリカの支配には都合が良かったので、その体制がそのまま温存されてきたのである。

その体制下では、物事はすべて官僚主導で動かし、国民も官僚も、すべて従順に上からの命令や組織の命令に従うように教育され、 自分で物事を考えて判断することは出すぎた行為として抑圧された。
大企業は、すべて実質的な準・国営企業と化し、マスコミもすべて記者クラブ制度などによって国家の遠まわしな管理下に入っていった・・・。

しかし、ひとくちに社会主義と言っても、旧ソ連や昔の中国といくつかの決定的な違いがあった。
例えば、大企業がすべて旧社会主義国のように統合されて単一の国営企業にされてしまわなかったことだ。
ソ連式の1社独占にするのではなく、少なくとも2〜3社の大企業に分割しておけば、ゆるやかな競争原理が働くので、絶えず新製品を開発していって、国際的競争力をつけていくことができるのである。

また、ここがいかにも社会主義的なのだが、全国民が平等に選挙権を与えられる一方で、選挙で選ばれた政治家には、予算の大小を奪い合う以外にこれといった実質権限が存在しない。
実際に法律を作ったり行政を運営するのは、全て役人・官僚の仕事なのである。

このように、民主主義や資本主義の都合の良い部分だけを採り入れて構築された、なかなかに効率の良い社会主義システムのことを、昔は「国家社会主義」などと呼んだのだが、実のところ日本はいまだに戦前からその体質が変わっていないのである。


例えば、今の中国でも、形の上では選挙のようなものが実施されて、共産党が国民から信任されている・・・ということにはなっているらしいけど、それをもってあの国を民主主義国だという人は誰も居ないだろう。

同じように、日本という国では、形の上では選挙も実施されるし、政権交代だって起こっているように見えるけど、実際には政治家には何の権限もなくて、官僚がすべてを決めて実行している

経済の分野を見てみれば、大企業の経営は、表面的には株主に権利があるようにも見えるけど、実際には監督している官公庁によってうまくコントロールされていて、それに逆らうことなんてできやしない。
中小企業のほとんどは、大企業の下請け関係に依存しているので、とても自主独立した企業とは言えない状況である。

このようなシステムの国家を、普通は民主主義国とか資本主義国とは言わない。
これは、まごうことなき社会主義のシステムの一種であり、日本は世界に冠たる最強の共産主義国家なのである。

ただ、日本はこれまで経済的に驚異的な成功を収めてきたために、国民の生活も豊かであり、ソ連や中国とは違うように見えている・・・ということなのである。
それに加えて、部分的には民主主義や資本主義の要素をうまく取り入れているし、あまり露骨な強制をしないで遠まわしに支配する巧妙な仕組みなので、これまでは一般国民は大きな不自由や不満を感じてこなかったのである。

被災地は今もあの時のまま・・・


もちろん、国民が不自由を感じず、大きな不満もないならば、一見するとそれでいいじゃないか・・・ということになってしまう。

しかしそれでは、日頃からマニュアル通りの対応しかとれないのだから、今回のような「非常事態」が起きた時には、行政や政府はまるで役に立たない・・・という状況が実際に発生するのだ。

この官僚主義のシステムというのは、マニュアルに沿ってうまく行っているうちは、みんながそこそこ安定して幸せに暮らせるようにできているのだが、ちょっと想定外の事態が起こると、とたんに対応できなくなってしまう。

そして、想定外の災難にも弱いのだが、今まで対応したことのない何か新しいことに出くわすことにも、からきし弱くて対応力がない。
よくお役所や大企業が、前例のないことには対応しようとせず、「前例主義」などと陰口を叩かれることがある。
まったくその通りで、彼らの本質はマニュアル主義=前例主義なのだから、想定外の事態にも、前例のない新しい事態にも、対応できないのは当たり前である。

いつまでもこんな状態のままでいて良いはずがない。

災害のあるなしに関わらず、これだけ変化の激しい現代社会にあっては、この古いシステムは、機能不全を起こして完全についていけなくなっている。
「失われた10年」などと言われた頃から、日本社会は現実に様々な変革を迫られるようになり、少しずつだか静かな変化が進行しているのだ。


一時期、「原発を卒業しよう」とかって「卒・原発」なんて言葉が飛び交っていたこともあるけど、くまっしぃに言わせれば、卒業すべきは原発じゃなくて、この社会主義の世の中だ。

まともなエネルギー政策を打ち出すこともなく、旧態依然の原発をだらだらと続けているのも、この官僚的社会主義のたまもの以外の何物でもないだろう。

今、世の中は急速に変化している。
日本も他人事ではなく、いまだかつて直面したことのない人口減少の時代に突入し、今までの社会のあり方の大幅な転換を迫られているのだ。

それに何より、昔は情報というものは、官僚や大企業やマスコミが独占していたから、安定した官僚支配を運営することができたのだが、今はそうではない。
インターネットの出現と普及により、世界のあり方はゆっくりとだが、着実に変わりつつあるのだ。

情報化社会は個人情報を管理されてしまうので怖い・・・と言う人もたくさん居るが、現実はもっともっと先まで行こうとしている。

くまっしぃに言わせれば、リビアやエジプトだけでなく、この日本の中でも革命は進行しているのだ。
みんながドンカンすぎて気が付かないだけで・・・。
本当の革命というのは、インターネットや手の平の上のスマートホンの中で起こっている。

今まで、私たち一般市民は、自分では何も主体的に決めることはできず、すべて世の中の流れや仕組みに従って生きてきた。
だが、そういう時代はもう終わりつつある。

これからの時代は、何でも自分で調べて、何でも自分で決めていくことができる。
世の中にまだない仕組みだって、自分たちの手で新しく作っていくことができるのだ。

ぶっちゃけて言えば、インターネットがあれば、もう役人や官僚なんて要らないのである。
今はまだインターネットを使った新しいシステムができあがっていくまでの過渡期であるから、古いシステムの人々が執行猶予で生き残っているだけなのである。

世の中の変化には、さすがに何十年という単位がかかるから、もちろん今すぐこの官僚主義社会の現実が変わるわけではない。
けれども、変化は確実に進行し、新しい時代はもうすぐそこまで来ている。

硬直化して、世の中の変化についていけなくなった古いシステムは、もうお終いにしよう。
何も変化を恐れる必要はない。
もうそろそろ、時代遅れになった社会主義を卒業しよう。


変化だ
振り向いて、知らないことに向き合おう

変化していくんだ
大人になってそっぽを向こうなんてするなよ

変化だ
振り向いて、知らないことに向き合おう

(デヴィッド・ボウイ)


<追記>

補足しておくが、もちろん大島町役場の職員ひとりひとりは、みんなとても良い人だし、私たちのために一生懸命取り組んでくれているのだ。
私くまっしぃは、時に批判することもあるけれど、町役場の方々にはいつもいつも感謝して敬意を抱いている。

ただ、官僚や役人というものは、この記事で述べてきたように本質的には「前例やマニュアルに従って行動するマシーン」という役割を規定された職業なのである。
だから、口では何と言おうと、あるいはどれだけ個人個人に誠意があろうと、私たち被災者の立場に立って物を考えたり寄り添ってくれることが、本当にできるわけがないのだ。

そういうことはきちんと割り切っておくべきで、最初から行政に“親身な対応を期待することがそもそも間違っているのではないか・・・と、私くまっしぃは思う。
行政を動かすことも、被災者の生活再建のシステムを作っていくことも、私たち自身が声をあげてやっていかなければならないのだ。

もちろん、様々な人々のご支援を受けなければ、復興も生活再建も進まないだろうが、そのことと、他人任せにするのとでは意味がまるで違う。
皆様のご支援を受けながらも、私たちは自分たちの手と意志で、物事を動かしていかなければならない。

行政がこれからどれだけ頼りになるのか・・・ということだって、結局は私たち住民がどのように働きかけていくかということにかかっているのじゃないだろうか。
行政には元から主体性なんてあるわけがないんだから、私たち住民の側が主体的にやっていくしかない・・・ということだ。

何事も他人任せで済むような時代は、とっくの昔に幻想に終わったのだ。

「私たちの手で復興を進めよう」
これが私くまっしぃの心よりのメッセージだ。

4 件のコメント:

  1. どうも話がでかすぎて、うまくまとめるのが、かなり難しかったでしーー(泣)。
    今これから世の中がどういう風に変化しようとしているのか・・・その辺の具体的な話は、くまっしぃジャーナル別版として立ち上げた「ゼロコスト社会 ウォッチャー」にて、ボチボチと書いていく予定なので、気長にお待ちあれー。
    よろしくですー。

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  2. まあ、あれですな まずは、いっておかなければならぬ事は、「朝生」は、討論番組ではないと言うことですなあ 討論番組なら、こちら(http://www.youtube.com/watch?v=xcHpEF4GzL4&list=PLubSbhcjV7ICS6hoHDf5XzzQALk9iHmJ6)をご覧になると、よろしいかと

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    1. えーと、正確にはちゃんと見ていたわけじゃなくて、長い記事を夜なべして書いている間に、たまたまやっていたので、テレビつけといて何となくバックグラウンドで聞いていただけなんですけど。。。
      まぁ、確かにあれは討論番組ではないですよねえ。それはよく分かります。
      ごくたまぁぁぁに、面白いこと言う人が居ることがあるので、夜ふかしのおともに流し見することもあるのです。

      おー!!U2部、500kbpsでも見れるですねー。
      でもうちの回線、ひと月に7Gまでなんでしー!!
      こないだ選挙の時の自分が映ってる番組見たら、その時のひと月分の通信クーポン(500MB)を一発で使いきってしまったでしー。気を付けねばー。

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  3. これも補足しといたほうが良いと思うんだけど、この記事でさんざん日本のことを社会主義とか共産主義と言っているけど、日本の政党で言えば、一番ソ連や中国のような「共産党」ぽい政党は、間違いなく自民党なのである。
    あれが本当に「保守政党」なのか、右の人も左の人も、みんな疑問に思っているはずだよ。
    もちろん党内に本物の保守勢力の人たちも居るけど、むしろ少数派なんじゃないかと思っちゃうもんね。

    ・・・というわけで、少なくともこの記事に関する限り、日本共産党のことはまったく念頭に無いので、どうぞよろしくでしー。
    (でも、ソ連や中国の共産党とは違うっていうのなら、分かりやすく党名変えれば良いのにねぇ。。。)

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